今週の説教要旨(2018.2.25)

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説教題「 内輪もめ 」
マルコによる福音書3章20~27節

オリンピック冬季大会まっさかりです。メダルにこだわり過ぎるのはいかがかと思うのですが、女子団体パシュートの活躍には胸を打たれました。一人一人の力は及ばないのですが、仲間を生かす滑りと協調性で相手にまさったのです。その中には個人の優越感を超えた調和の世界をかいま見たような思いを持ちました。
さて、本日の聖書の箇所では、律法学者がイエス様を「悪霊のかしら」と決めつけ、奇跡や癒しの行為を冒涜(ぼうとく)しました。自分の権威を守るために、イエス様の力を、神様にもとづくものとは認めることができなかったのです。それに対してイエス様は、律法学者が言っていることが本当なら、サタンが内輪もめしたらその時点で、サタン自体が立ち行かなくなるだろうと反論しました。
しかし、私たちの世界も、イエス様を認めようとしません。イエス様を認めないということは、イエス様がとりなしてくださる神様を認めないということです。神様のいない世界は、「内輪もめ」の世界です。自分自身が神様になるために、自分のことをひけらかし、互いに足を引っ張り合い、憎しみ合う世界です。この先には誰にも勝ち目がありません。勝利の王であるイエス様を主とあおぐ者が、神様の調和の世界に生きることがゆるされるのです。