今週の説教要旨(2018.5.6)

dscn0478
説教題「 執り成し 」
創世記18章23~33節

本日の聖書の箇所は、ソドムの裁きについての、神様とアブラハムとのやりとりが描かれています。アブラハムは、いくらソドムが悪いと言っても、正しいものも一緒に滅ぼしてしまうことは正しいことなのかを問います。神様はアブラハムの申し出を受け止めて、その言い分をみとめました。「もしソドムの町に正しい者が50人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」と。しかもアブラハムはなおも交渉を続けます。
このところで注目すべきことは、17節で「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があるだろうか。」と神様自身が自問自答していることです。それは、神様が、正しい人アブラハムにとりなしの役割を期待したのではないかと考えられます。神様が望むのは人間を裁くことではなく、愛することだからです。
ソドムは結局滅びましたが、アブラハムの神様との交渉は無駄に終わらなかったのではないでしょうか。それは、この世界が悪に染まっても、少数ながら「主の道を守り、主に従って正義を行う人」が存在することによって、とりなされるということが示されたからです。そして、もっとも大きなとりなしをした方は、イエス・キリストです。神様は人間への究極的な愛の形として、イエス・キリストをこの世に与えました。イエス様は十字架上で、「父よ、彼らをお赦しくだい。自分が何をしているのか知らないのです。」と、とりなしました。
さらに、現在は、キリストの体を形成する教会が、この世に対してとりなしをしていく役割が神様から与えられています。このことをおぼえて、この地域において、とりなしの役割を負う教会となっていきたいと思います。