今週の説教要旨(2018.7.8)

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説教題「 何か見えるか 」
マルコによる福音書8章22~26節

イエス様がベトサイダに到着すると、目の不自由な人が連れてこられます。人々は好奇の目をもってイエス様が奇跡を行うのを見たがるのです。イエス様はその空気を嫌い、その人を村の外に連れ出し、2段階の癒やしをします。一回目は視力の回復でした。でもまだ、見えているものが何であるかわかりません。2段階は、見えているものが何であるのかがわかる力を回復しました。ただ見えているだけでは、正しい認識ができないからです。
イエス様は「目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。」(マルコ8:18)と弟子達を叱りました。目があっても見えず、耳があっても聞こえない状況にあるのは、現代を生きるわたし達も同じです。わたし達は「真理」であるイエス様を通して、目が開けられるのです。見えているものが何であるか判断する能力を取り戻します。その結果、自分の足で立って、主体性をもって生きることができるようになるのです。そしてはじめて人間としての尊厳を取り戻し、自立した世界を生きることができるようになるのです。