今週の説教要旨(2018.7.15)

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説教題「 今や、恵みの時 」
コリントの信徒への手紙二6章1~10節

パウロは「福音」と、「福音」を告げ知らせる役割の重要性と恵みを説きます。前の5章では、「福音」とは、神様と人間との和解(仲直り)が、イエス・キリストを通してやってきたことだと説明します。そして、「今や、恵みの時、今こそ救いの日」(6:2)と宣言します。「今や、恵みの時、今こそ救いの日」はパウロのオリジナルではなく、第2イザヤを通じて、70年の後解放されるイスラエルの民に語られた言葉(イザヤ49:8)から引用したものです。捕囚から解放される恵みと喜びにまさる「恵みの時」、「救いの日」がついにやってきたことをパウロは言いたいのです。まさに神様から差し出された「和解」は、人類の運命を180度転換したということです。
しかし、私たちの置かれている現実は、「恵みの時」「救いの日」とはかけ離れた悲惨があります。榎本保郎牧師はそのことについて、口語訳聖書の「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である」の「見よ」という言葉に注目し、見よというのは現実を見よという事ではなく、上を見よ、神様を見よということだと語ります。パウロも、神様に支えられ、ぼろ雑巾のようになりながらも福音を伝え続けることができました。「人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、貧しいようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有してい」るというパウロの伝道者としての生き様にならい、私たちも、福音を告げ知らせる者とされていきたいと思います。