今週の説教要旨(2018.7.22)

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説教題「 誰が味方か 」
マルコによる福音書9章33~41節

イエス様のエルサレムへの旅が始まろうとしています。イエス様のたどるべき道は弟子たちに2回も告げられていたのですが、弟子たちは理解できないようでした。弟子たちは、自分達のうちで誰が一番偉いのか議論をしていたのでした。それでもイエス様は辛抱強く、弟子たちに説きます。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」さらに、子どもを抱き上げて、「わたしの名のために」子どもを受け入れる者は、イエス様を、ひいては神様を受け入れる、と言われました。そのような弟子たちも、やがて「イエス様の名」(イエス様のちから)によって、「キリストのもの」とされていきます。そして、イエス様と同じ道をたどる者とされるのです。そのことを、イエス様はご存知でした。
また、未熟な弟子たちは、子どもを癒すことができませんでした(9章の14節以降)が、他の人が無断でイエス様の名を用いて癒しをしていることを見つけると、それを許しませんでした。弟子のヨハネは、弟子集団を特権的なものと勘違いしていたようです。その集団に所属しなければ、イエス様の名にすがってはならないと考えました。しかし、むしろ、キリストのものとされた者は、イエス様の名にすがる者を憐れみ、仕えなければなりません。イエス様は「味方」という言葉を用いて、弟子たちに寛容を求めました。私たちもイエス様の名によって、キリストのものとされ、小さい者に仕えるものとなり、イエス様の名にすがる人々と連帯してまいりたいと思います。