今週の説教要旨(2019.2.17)

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説教題「 実を結ぶ人 」
ルカによる福音書8章4~15節

イエス様は「種を蒔く人」のたとえ話をした上で、解説をされました。しかし、肝心なのはわたしたち自身がそのたとえ話の何になぞらえられているのか、ということです。これには、三通りの見方があると思います。
 ひとつめは、私たちが種であるという見方です。種がどこに蒔かれるかによって、信仰が花開くかどうか決まってしまうということです。ひたすら良い地に落ちるように祈るしかありません。
 ふたつめは、私たちが、蒔かれた地面であるという見方です。私たち自身が、石地や、茨の茂る地ではなく、良い地であることをひたすら願うこととなります。
 みっつめは、私たち自身が種を蒔く人その人であるという見方です。初めの教会は、宣教活動をしても妨害され、また、福音に接しても信仰に至る人に恵まれませんでした。それでも、勇気をだしなさい、希望をもって福音を伝えていくときに、実を結ぶ種は一粒しかなかったとしても、その種が100倍にも実を結び、その行為が報われるのだ、ということを言っているのではないでしょうか。私はみっつめの見方を強調したいと思います。
 私たちの教会の伝道が一見実を結んでいないように見えても、実は、見えないところで芽を出し、花を咲かせ、何十倍もの実を結ぶのです。だから希望を失ってはならない、と、このたとえ話は、私たちへの励ましのメッセージとして語られているのではないでしょうか。困難に思えても、決して希望を失ってはならない。恐れるな、勇気をだしなさい。私がともにいる、そのような神様のメッセージなのです。