今週の説教要旨(2019. 6. 16)

6月16日花

説教題「 驚くべき御業 」
使徒言行録 2章1~13節

 五旬祭の日が来て、一同皆が一つところに集まっていると、突然、大きな出来事が起こった。聖書の記述はたいへん感覚的な表現がなされていて、この出来事に出会った者はそうとしか言いようのない大きな出来事を経験したものと思われる。激しい風の響きと炎のような舌の経験であった。すると、一同は聖霊に満たされて、その霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で語り出し、エルサレムに世界中から集まっていた信仰深いユダヤ人は、自分たちの言葉で神の偉大な業について聞いた。
あまりにも不思議な出来事であって、捉えがたい出来事がペンテコステの日に起こった。説明しがたいが、これだけのことは言える。キリスト教会はこの出来事を、旧約聖書の預言の成就(ヨエル書など)即ち、聖霊の注ぎであり、主イエス・キリストの約束のもの(使徒1:4,5、8)が降る「聖霊降臨」の出来事であったと受け止めた。聖霊を受けて弟子たちは、以前とは別人のように力を受けて「わたしの証人として」外国人にさえ語り出した。たしかにこの出来事の前と後とでは弟子たちは(使徒たちと言うべきか)彼らは全く変えられた。つまり、たしかに、それだけ大きな、ものすごい出来事が起こって、この日、教会が誕生したのである。
さて、ものすごいとは、ものの大きさばかりを言うのではない。実は今の教会の私たちも、好むと好まざるとにかかわらず、あるいはそう認識するかしないかにかかわらず、今や、聖霊に満たされて主の証人にさせられている。そうだ、たとえ小さな声ででも、いや、この私たちの生き方を通して、神の偉大な業は語られている。それは誰がなんと言おうと、神の驚くべき御業である。ここに神の教会が建てられており、わたしたちが教会によって育てられ、生かされているということは、驚くべき神の御業である。それは聖霊を受けているという事実の証しなのである。