今週の説教要旨(2019. 7. 14)

7月14日花

説教題「 すべての人に 」
使徒言行録 11章4~18節

 宣教題を「彼らの上にも」としようかと一度は考えました。15節に「わたしが話し出すと、聖霊が最初わたしたちの上に降ったように、彼らの上にも降ったのです」とあるからです。ペトロ達ユダヤ人からすれば異邦人であり、神を知らない者とみなされ、「聖でない」ものとして蔑まれ排除され差別されていた「彼ら」の上にも聖霊は降ったのです。人の思いとは全く違って、何の躊躇もなく分け隔てもなくすべての人に神の愛は注がれているのです。これこそペンテコステのあの御言葉、「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。するとあなたたちの息子と娘は予言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。」の通りです。聖霊は神の賜物としてすべての人に注がれています。拒むのは人間のほうです。そこがなんとも残念です。これが罪と言われるものです。でも聖霊は罪人であるわたしたちすべての人に注がれているのです。これを受けましょう。
先週は、エチオピアの宦官がまず洗礼を欲して、授けられたことを通して、教会の授けているキリストの名による洗礼はすべての人に開かれている。誤解を恐れずに言うならば、神様から命を与えられている人間なら誰にでも資格ではなくむしろ権利として与えられていると申しました。本当に神の賜物として、すべての人が洗礼へと招かれているのです。ですから教会は神が招いている人ならば誰にでも連なることが出来るのです。今日の聖書のペトロの語りは、前章10章の出来事のまとめになっています。念のため読んでみますと、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」「神は、わたしに、どんな人をも清くない人とか、汚れている者とか言ってはならないとお示しになりました。」とあり、わたしたちの心に深く刺さり残って響き渡ってきます。神の賜物を拒むのはわたしたち人間です。身に覚えのある者として、自戒を込めて、それは残念です。愛を止めないで。