今週の説教要旨(2019. 10. 20)

10月20日花

説教題「 信仰によって 」
ヘブライ人への手紙 11章32節~12章2節
 ヘブライ人への手紙11章には「信仰によって」という言葉がいくつも出てきます。旧約聖書や当時の神と共に歩んだ数々の先達が「信仰によって」どのようにその人生を生き抜いたかが記されています。そして12章では、そうしたおびただしい証し人の群れに包まれている今の私たちなのだから、さあ、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨て、自分に定められたこの世の馳せ場を忍耐強く走りぬこう、と呼びかけています。殊にも、今や旧約聖書の時代の彼らと違って、私たちには信仰の創始者、導き手にして完成者であるイエスがついているではないか、イエスを見つめよう。イエスこそ、神への信仰(信頼)によって、目の前の喜びを捨て、恥と苦しみをいとわず、十字架の死を耐え忍び、神と共におられ、今やその玉座についておられるのであるから、というのです。私たちも同じ道を行き、信仰によって、いやイエスの信仰によるご加護によって、私たちもイエスと共に死人の中からの復活をするのだから、そして天の故郷で神と共に住まうのだから、と励ましています。
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです(11:1)。究極的には死人のよみがえり、すなわち「復活信仰」ということが、信仰ということではないでしょうか。イエスに現わされた信仰と、彼の十字架による罪の贖いによって、私たち罪びとにも及んでいる死人の中からの復活を信じぬくこと、これこそ、現在に及ぶ信仰だと思います。
今日の聖書には、多くの戦いの勇者たちが、信仰によって死をいとわず、嘲られ、苦しみを受け、拷問され、放浪し、死ぬ目に会いながら信仰を守り、戦乱の世を走りぬけたとあります。そこで私は思うのです。今や、信仰によって、良心的兵役拒否以上に、戦争加担を拒否する生き方へと、本気で舵を切る時ではないでしょうか。