今週の説教要旨(2019. 10. 27)

10月27日花

説教題「 天地創造とクリスマス 」
創世記 1章1節~5節、24節~2章3節
 聖書は創世記の天地と森羅万象創造物語から始まっています。  
第一日目、神は「光あれ」と言葉を発し、光を創造され、これを見て満足し、良しとされました。第2日目に神は、大空と呼ばれる天を造りました。三日目には、神は地と海を造り、地に草や果樹を芽生えさせます。四日目に神は、天の大空に太陽、月、星の光るものを造り、地に仕えるように命じました。第五日には生き物を創造され、水の中、地の上、天の大空に群がるようにしてそれらを祝福しました。第六日目、地と生き物を祝福して、それらと共に神は御自分に似せて人を造り、人間仲間として造り、地に仕え、生き物を治めさせるように命じました。森羅万象を見て満足して祝福し、天地創造を完成されました。そして、第七の日に、神は仕事を離れ、安息なさいました。この日を祝福して特別に聖とされました。
ここには神と人間仲間と被造物とのハーモニー、限りなく信頼に満ちた交わりを感じます。そして、あらためて気が付くことは、天地創造は「無からの創造」ではなかったことです。神が初めの業を行う前に、地は混沌で、闇が深淵に満ちていました。極致ともいえる凄まじい光景でしょう。しかし、神はそこに、光をもたらし、言葉をもって、混沌と闇を切り開きます。六日目を頂点とする人間仲間が生きられるようにするためにです。そして、人は被造物を従わせて支配するためではなく、これらに仕えて守り、治めるように命じられたのです。これが人間仲間の生きる道です。
訳業、翻訳が手前勝手になされ、そのために人間自身が支配され、人間は自らを疎外し、被造世界においてわがもの顔に振舞ってきました。今となっては人間の愚かさだったと、人間の本分に返るべきことです。そして、私たちにとってなお混沌と闇とは何か、そこにどうしても光が必要ではないですか。光を探そう、というのではないのです。私たち人間仲間は、すべてにかかわらず、光に照らされていませんか。