今週の説教要旨(2019. 12. 1)

12月1日クリスマスリース

説教題「 美しきかな 」
イザヤ書 52章1節~10節
 一人のマリアがおりました。救い主イエスの母となったマリアは、普通の人でありました。ただの代表として選ばれただけです。マリアはわたしたち人類の代表だと思うのです。
わたしたちには寒さに凍えて暗闇のなか独り震えながら朝を待つ夜があります。貧しさの極みに息も絶え絶え、消え入りそうな蝋燭の灯に手をかざし、まるで「マッチ売りの少女」のように、愛する人や家族を思い浮かべて耐え続ける、そんな夜もあります。いつ終わるかという空襲の夜のように、あるいは布団を頭から被っていつ果てるともしれない、いつまで息を潜めて、隠れていればよいか、悪の過ぎ去るのをただ待つのみという、死をすぐ近くに感じる圧迫、困窮と不条理の夜もあります。また敗北と絶望に打ちのめされて、くずおれて立ち上がることが出来ない夜。悲しみと虚しさがいつまでも晴れることがない何年もの夜がある。それでもわたしたちは普通、朝は来る、夜は必ず明ける、陽はまた昇ると漠然と信じているのです。でも明けない夜があるとしたら、それはどんなに深く暗いことでしょうか。
そんな夜に彼は来るのです。いいえ、良い知らせを伝える者が来たのです。「いかに美しいことか。」彼の足は泥や土にまみれ、傷ついて血が吹き出ていることでしょう。彼は平和と救いを告げ、恵みの良い知らせを伝えに来たのです。あなたの神は勝利したのだ、と。マリアの喜びはいかばかりでしょう。わたしたちの喜びもまた。ただ受けるのみです。「私は主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように。」わたしたちはみ告げをただ受け、良い知らせを伝える者を受け入れるものです。マリアの喜びと驚きはわたしたちすべての者のものです。マリアは人類の代表にただ選ばれただけ。その祝福の選びは、わたしたちすべてのものであります。