今週の説教要旨(2019. 12. 15)

12月15日アドベント3

説教題「 愛を思い出せ 」
マラキ書 3章19節~24節
 わたしたちはクリスマスを大きな喜びの日として迎えようとしています。言い方を変えれば、その日は希望の日、救いの日、喜びの日として期待して、そう信じて、信じ切って待っているのです。しかし、主の日が決して人の望むような日ではないとしたらどうでしょうか。
今日のマラキ書の御言葉は、主の日は破滅の日で、主は来て精錬する炉のように燃え上がる火でこの地を撃つ、と語っています。神様を畏れ敬う人々は、日ごろの自分たちのことを振り返って罪を直視して御前に告白し、悔い改めて主に立ち帰るほかありません。しかもこれは自分のことと気づいた今がそのとき、急いで主に立ち帰る他ありません。するとその日は、主を待ち望む日どころか逆に自分が主に迎え入れられる日であり、主が私を待ち望む日だとわかるでしょう。その日は大きな喜びの日となるでしょう。幻影の中で、ふと後ろを振り返ってみれば、主のところに戻らなかった私が、主に撃たれ、燃える火で焼き尽くされた私がわらのように、よじれて、のたうちまわって灰になっているのが見えるのみです。私は助かったのです。救われたのです。その日は主の救いの日、恵みの日、まさに大きな喜びの日です。
私たちは正確にはクリスマスを待つのではなく、主を待ち望むのです。その日は主も私たちを待ち望んでおられるのです。罪を悔い改めて主に立ち帰りましょう。立ち帰ることが出来ないのが罪のしるしです。そんなことに気づいた時は、あなたは神様に愛されていたことを思い出しましょう。私たちはもう神様の大事な愛する子だったはずです。いつでも迎えてくれる方がおられます。イエス様は心の扉をたたいています。心のお部屋は汚れており散らかっていますが、そのままに救い主を迎え入れましょう。きれいにしてくれるのはイエス様です。そして、主の日には、救い主イエス様と共に主なる神を待ち望みましょう。