今週の説教要旨(2020. 1. 26)

1月26日花

説教題「 喜びの杯 」
ヨハネによる福音書 2章1~11節
 輝かしいイエス様の宣教の始まり。主は貧しさを溢れ出る恵みで満たして下さる。11節に「イエスはこの最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた」とある。
ヨハネによる福音書は、イエスがガリラヤとエルサレム/ユダヤとの間を三度往復しながら活動し、ゲッセマネの祈りまでに至るまで、七つのしるしを行い、それによって引き起こされる対話や質問に媒介された、イエスの自己啓示としての独白が積み重ねられていく。特にそれぞれのしるしは、当時のユダヤ教の暦を場面設定として行われ、古い契約の歴史において起こった神の恵みが、今やイエスによって更新、置換され、ユダヤ教がイエスの福音によって凌駕されていることを告げ知らせている(「新約聖書略解」)という。
 しるしの数は、五千人の給食と続く湖上歩行を一つと数えて六つとし、主イエスの十字架の死からの復活を最後に加えて完全数、全部で七つと数えてもよいらしい。また、しるしとはいわゆる奇跡のことであるが、このしるしは、これを見て信じる者とそうでない者とを分けるしるしでもあるようだ。老シメオンの言葉を思い出す。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています―あなたも剣で心を刺し貫かれます―多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」。
今日のしるしは「言は肉となって私たちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた(ヨハネ1:14,15)」の第一弾である。私たちも主イエスのしるしの中に神の栄光を見て、父と一つであるイエスを信じる者でありたい。そして恵みから恵みを受けて生きていこう。貧しい器を「喜びの杯」に変えて、そこに豊かに満たして下さる主に感謝。人生も世界も、初めから終わりまで実は主の輝きに満ちているのだ。