宣教への招き(2020. 6. 28)

6月28日花

宣教への招き
説教題「 わたしどもの先祖は 」
ヨハネによる福音書 4章 5節~26節
 わたしどもの先祖は、とサマリアの女は血肉を誇り自信満々に語り始めた。あなたがたとは違うのだ、あなたとは関わりを持ちたくない、という気持ちの裏返しでもあろう。しかも、わたしどもの先祖はこの山で礼拝したものだ、と過去形で言って、今は、そして自分は、礼拝もしなくなってしまったのだが、と暗に告白している。
そういう彼女に、イエスは言う。「婦人よ、私を信じなさい。礼拝するのは、この山でもあの山でもないところで礼拝する時が来る。まことの礼拝を霊と真理をもって、私たちの父を礼拝する時が来る。今がその時だ。」と、血肉を誇りながらも本当は自分でも恥ずかしい思いをしている彼女に、まっすぐに語る主イエスである。あなたがたサマリア人もわたしたちも、帰るべき本当の父はおひとりではないか、と。
「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」婦人よ、人は肉にすぎない。だから、いくら誇らしい人間でもそのままでは真の礼拝はできないのだ。同様に神だけが真理であって、人間は不真実なものである。だから、そのままでは真の礼拝はできないのだ。しかし、今、ここで、共にまことの礼拝をすることが出来る。私が今ここにいるではないか。だからできる。
実にこれは、今の私たちへの言葉である。かつてでもない。いつかでもない、あそこでもないそちらでもない、今、ここで。主イエスの名によって、主イエスの執成によって、主共にいまして、まことの父の礼拝がなされている、驚天動地の感謝。
イエス様の十字架の贖罪と復活によって天父との和解をいただいた私たちは永遠の命の交わりをゆるされて父との交わりを回復させられました。礼拝が可能になりました。イエス様の昇天と聖霊降臨によって聖霊を受けて、肉なるわが身にさえ聖霊を宿し神の宮をもって、霊なる神様との交わりを可能にしていただきました。あの主の血潮による贖いが不真実なる私どもをただ主によって義とみなしていただき、父はただ主にあって私どもを真実とみてくださっているのです。唯々、栄光在主。