宣教への招き(2020. 8. 2)

8月2日花

宣教への招き
説教題「 平和の国 」
ローマの信徒への手紙 14章10節~23節
 8月第一日曜日を日本キリスト教団は「平和聖日」と定めています。1945年に広島、長崎に原子爆弾が投下されて15年くらいたってから広島で被爆した教会のメンバーや牧師達が全国に呼びかけてようやく制定されたと聞いています。今日がその日です。そしてそれぞれの教会が、今も、すべての核の廃絶と恒久平和を希求して祈っているのです。普段は主義主張が異なる様々な立場の教会も、それらの立場を超えて、平和を求めて真実の一つなる祈りを祈ります。
立場が違う、主義主張が違うと言えば、原爆を投下した国であるアメリカの中には今も原爆投下が正しかったと信じて主張するクリスチャンが大勢いることを私たちは知っています。しかし、それらの教会の人々とも、私たちは同じ主の食卓から一つの平和の祈りを祈りつつ、一つの同じパンから食べ、一つの杯から飲む主の聖餐を行います。普通の感覚では主義主張立場が異なる人々とも、そうすることが出来るのです。できるというかそうすることがゆるされています。いや、しなければならない。なぜならば、「キリストはその兄弟のために死んでくださったのです」から。
わたし達クリスチャンは「キリストはその兄弟のために死んでくださった」ことを聖霊によって知らされているのです。世の全ての人のために裂かれたパンの一切れをこのわたしも最後に共にいただくのです。そこでは異なる他者のことを排除したり自己絶対化など出来るわけがないのです。私たちのために死んでくださり裂かれたパンは沢山ですが、もともと一つの体なのです。私たちはもともと一つの体。そして今は裂かれているそれぞれのパンを食べるそれぞれのキリストの体が集まって、もとの一つの体になる時を望み見て行うのが主の聖餐です。神がくださる平和の国を聖霊によって望み見て主の聖餐にあずかる私たちなのです。だから、「平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか」。今日の福音のメッセージはこれにつきます。