宣教への招き(2020. 8. 9)

8月9日花②

宣教への招き
説教題「 食事と感謝 」
箴言 9章 1節~11節
 先週私たちは「食べ物のことで兄弟を滅ぼしてはなりません。神の国は飲食ではなく義と平和と喜びです。キリストはその兄弟のために死んでくださったのです」という御言葉を聞きました。教会での食事の場面での出来事が想像されます。教会の食事、これは主の食卓=聖餐です。聖餐のことをユーカリスト(感謝)と呼ぶことがあります。本日は、聖餐を通して「食事と感謝」について共に学びましょう。
聖餐式の時には、「これは、わたしたちのために割かれた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命を捨てられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子キリストとの交わりにあずかりましょう」と司式者の宣言を聞きます。同様に「これは、わたしたちのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう」と招きがなされます。
私は牧師になった頃、良き先輩牧師が「これはわたしたちのために・・・(次に)あなたのために…」この順番が大切なのです、と教えられたのを覚えています。
まさに、まず主は初めにこのわたしのために死なれたのではなくて、他の人、他の人々つまり冒頭の御言葉の通り、「その兄弟のために死んでくださった」。次に初めて自分のため、という優先順位です。
次に大切なのは「わたしたちのために」とあります。「わたしたち」の中に「わたし」がいる、その最後の者として私も加えられている、ということです。
更に、「わたしたち」とは誰でしょうか。主の祈り「われらの日用の糧を」を思い出してみましょう。キリストは世のための命(ヨハネ6:33)です。神は独り子を賜わったほどに世を愛していらっしゃる。「わたしたち」とは当然世のすべての人々です。世のすべての人を招き、命を与えるのが教会の食事、主の食卓です。世界の食事の中心であり、頂点が、礼拝の中で行われる聖餐なのです。