宣教への招き(2020. 8. 23)

8月23日花

宣教への招き
説教題「 知恵はどこに 」
ヨブ記 28章 12節~28節
 ヨブ記は旧約聖書の文学類型で言うと知恵文学に属している。ヨブ記、詩編、箴言、コへレトの言葉、雅歌という知恵の書の中でも頂点と言えるほど難解を極める。 
42章からなっているヨブ記はサンドウィッチ型の構成になっていて、まず初めの1、2章で物語の発端を示し、最後の42章後半に結末がある。それに挟まれた部分はヨブと友人たちが神を求めて議論した果てに、38章で初めて神ヤーウエが顕現され語り始める、というものです。東の国で一番祝福されたヨブという義人の信仰は、神に祝福されているからこそだろう、祝福をすべて剥ぎ取ってみればヨブとて罪人たる人間の一人。きっと神よ、あなたを呪うことでしょう、というサタンの言葉に神ヤーウエは、それではと、ヨブを愛し信頼してのゆえなのか、本当に彼からすべてを奪い取り更に彼の身体に重い病を負わせました。あまりの悲惨な彼を目の前にして友人たちはヨブの心に届く言葉をかけることができません。ヨブは苦しみ絶望の極みの中で神ヤーウエと一対一で勝負する様相になってきます。ヨブは胸倉を掴むかのようにして叫んで問います。神はどこにいるのか、あなたの正しさはどこにあるのか。あなたにお会いしたい、話がしたい、訊いてみたい。問い詰めたい。わたしは間違っていない、わたしは正しい。真偽を確かめたい。御言葉を聞きたい。たとえ生きて会えなくても陰府ででもいい、贖う方と共にあなたを仰ぎ見たい。
私たちの祈祷会の中でも読み進めるごとに、私たちはヨブになったかのように、イエス・キリストなしの闇でのたうちまわり、げんなりと主イエスの光なしの地獄のような重苦しさ。神が38章まで一切語られない御言葉なしの不条理、希望のない数か月を、ヨブと共に過ごした気がしました。険しく、心晴れず、大変でした。
やっと顕現された神様はあまりに大きすぎて、やはり神様はすべて聞いていてくださっていたとの思いも、感謝も、イエス様の福音にはかなわない気がしました。
そう、私たちにはイエス様がいらっしゃいます。なんという感謝でしょう。