宣教への招き(2020. 8. 30)

8月30日花

宣教への招き
説教題「 わたしの主、わたしの神よ 」 内藤智基牧師
ヨハネによる福音書 20章24節~29節
 きょうのヨハネ福音書は二十章で終わっていたともいわれる最後の章です。ある意味で最後の章でもあるこのところで大切な働きをしている、用いられているのはトマスです。
「うたがいまどうトマスにも」(讃美歌21-197-3より)。どうして彼はこんなにも疑い深くなってしまったのでしょうか?ヨハネ福音書が告げるのはただ一つのことなのです。主のよみがえりの日=日曜日に、彼がほかの弟子たちと共にいなかった点にあるというのです。つまり、弟子たちの群れ=教会を離れては教会の信仰=復活信仰は持つことは出来ないと言う事実です。教会において信仰は養われて、育てられていくのです。私どもの信仰は教会を離れては持つことも、保つこともできない=失くします、わけです。私どもが洗礼を受けたときのことを想い出してください。日本基督教団の教会の信仰を告白し、これを受け入れました。他教派の教会から入会するときもまた同様です。教会はこのように教会の信仰に加わることにより成り立つわけです。
しかし、トマスは「トマス」ではあり続けてはいません。次の主の日=日曜日には教会に帰ってきました。この日、復活の主はうたがいまどう、一番不信仰な者を目指してその疑惑の部屋に入ってこられました。そして、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われるばかりか、「見ないのに信じる人は、幸いである」という」祝福の言葉をトマスにキリストはかけてくださったわけです。
今ここでこの祝福の中にみんなあることを覚えましょう。

8月30日交換講壇
8月30日記念写真①