宣教への招き(2020. 9. 6)

9月6日花

宣教への招き
説教題「 新しい人間 」 
エフェソの信徒への手紙 5章 11節~20節
 主イエスを信じる者とはどういうものか少し前のところから読み始めて学びたい。
4:17以下に「古い生き方を捨てる」と見出しがあり、ここを読んでみますと、あなたがたエフェソの教会の信徒=クリスチャンとはどういうものであるかということが書いてあります。これがつまり今日の私たちのこと、今日の教会、あなたやわたしのことでありますが、あなたがたは、キリストの言葉を聞いて、キリストに結ばれた者だ。かつては放縦な生活をし、ふしだらな行いにふけり古い生き方をしていたが、今や情欲に迷わされ滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着けた(着た)者だ、と言うのです。
次に25節以下に「新しい生き方」と見出しがあって、新しい人を着た人間は、新しい生き方をするよう具体的に勧めています。いわば「新しい人間」の生き方です。肝は、あなたがたはキリストに結ばれて聖霊を受けたのだから、聖霊を悲しませてはいけない(30節)。神の愛によって歩み、感謝して過ごしなさい、というものです。
同じように5:6以下には「光の子として生きる」とあります。新しい人間であるクリスチャンは決定的に「光の子」とされ、事実「以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。」もう不可逆的に、誰が何と言おうと、誰が否定しても、闇の子ではない光の子なのだから「光の子として歩みなさい」(8節)と聖霊は励ますのです。そこで、もし君が再び古い生き方、暗闇の業に戻ってしまったとしても、かの事実がキリストのゆえに揺るがないゆえに、むしろ自分を明るみに出し、光にさらされたらよい。それが光の子とされた者の生き方だ。そして、酒に酔いしれず、日々、あらゆることをキリストのゆえに父なる神に感謝しなさい、と諭します。
「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」古代洗礼式の洗礼志願者に対する賛歌を引用し、想い出せ、起きよ、何度でも立ち上がれ、光に生きよ、君は光の子なのだ、と励ますのです。