宣教への招き(2021.1.10)

1月10日花

宣教への招き
説教題「 主の顕現 」 
マタイによる福音書 3章13節~17節
 メッセージ題を「主の顕現」としました。顕現とは出現すること、現れ出ること。元の聖書の言葉ではエピファネイア。キリスト教の教会では東方の博士の来訪礼拝や主の洗礼の聖書箇所が選ばれて、救い主イエス様が世に現れた祝祭の礼拝をします。英語ではエピファニーと言って1月6日にあかりというあかりをすべてつけてまさに輝かしく主の顕現の記念礼拝や祝祭のパーティーを行います。公現も同じも意味ですが、わたしは顕現のほうが、主の来臨の輝かしさを現わすようで好んでいます。12月25日からこの日までを、外国ではクリスマスシーズンと言うようです。エピファニーを「十二夜」と呼ぶ言い方はそこから来ています。クリスマス期間は、本当に主イエス・キリストの来臨を記念するにふさわしい輝かしい時でした。
クリスマスが12月25日とされたのは4世紀後半。そんなに遅いのは、その前の教会はクリスマスの「日にち」はこだわっていなかったからです。クリスマスつまり、イエス・キリストという神の子・救世主の来臨=出現=顕現という光に満ちた輝かしい事実こそ、人々が祝い感謝し記念すべき事柄でした。2世紀以降の古い神学書や典礼書によると日にちとしては、12月の年の暮れから1月上旬の間に記念して祝っていました。しかしそれよりも大事なことは、その典礼(礼拝)で人々が何を祝っていたかです。その礼拝の中で聖書朗読され、神の顕現として祝っていた事柄とは神の子・救い主イエス・キリストの誕生、羊飼いへの天使のみ告げと讃美、イエスの洗礼、カナの婚礼、5000人の供食、そして大きな星に導かれた外国人の博士の来訪と礼拝なのでありました。これがこの世界への神の愛と栄光をあらわす主の来臨=顕現の輝かしい事実。2000年を越えて、今にいたり永遠に至る福音の輝かしさです。
今日は救い主イエス様の洗礼の聖書の言葉を通して、主の顕現の輝かしさに触れ、イエス様の命に触れたいと思います。そして望むならば神様の永遠の命の中に私たちが接ぎ木されるようにその救いの命を受けるのです。主はそのために来ました。皆がとこしえに死なないで輝き続ける新しい命をいただきましょう。

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