宣教への招き(2021.1.17)

1月17日花

宣教への招き
説教題「 最初の弟子のように 」 
マタイによる福音書 4章18節~25節

 わが本棚の背表紙の字に目が留まった。ヘルマン・ホイヴェルスという神父・宣教師の書いた「人生の秋に」。序文に「最上のわざ」という詩がある。この有名な証しというか、呟きというか、その詩は、ホイヴェルスの作ではない。ニューヨークのリハビリ病院の壁に走り書きされた落書きだという。普通のクリスチャンというか普通の人の感慨だ。なにか特別に神に選ばれた人、偉い悟った人のそれではない。

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、働きたいけれども休み、しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、従順に、平静に、おのれの十字架をになう。
若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、弱って、もはや
人のために役立たずとも、親切で柔和であること。
老いの重荷は神の賜物、古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、
真にえらい仕事。こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。

神父や牧師でなくとも、主を信じる人、主イエスのあとについていく人の人生は、克服されている。折り合いがついている。主イエスの背中が見えているからだ。

こどものための小説教と宣教をYouTubeに公開します
https://youtu.be/RIygH4tQqLQ
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