宣教への招き(2021.03.07)

3月7日花

宣教への招き
宣教題「 引き下がれ、サタン 」 
マタイによる福音書 16章13節~28節

 フィリポ・カイサリアは古くから異教の神々が祀られた地方。それらをさも征服するかのように世界の生ける神の子・ソーテール(救世主)と呼ばれたローマ皇帝が新たに作らせた町です。そういうところで、ナザレのイエスに対する「信仰告白」がシモンの口から発せられました。「あなたこそキリスト、生ける神の子」~他の誰かではない。イエス様、あなたこそ救世主(救い主)、生ける神の子ですと告白した。イエスは喜び、「あなたこそペトロ(岩)、その上にわたしの教会を建てる」と言った。
私はその岩とはその「信仰告白」の言葉だと考えます。イエス様が人を土台として教会を建てるとは思えないからです。教会は主イエス・キリストが復活して生きておられるところで、そこには陰府の力も入って来れない。永遠の命で支配されている。
 ところが、その生ける神の子・救い主は苦しみを受けて殺される、と聞いた途端に
弟子が主イエスをいさめ始めたのです。ペトロはすかさず「退け、サタン」と叱られます。サタンは神の子の邪魔をするからです。ペトロは神のことを思わず、人間のことを思っていました。まだまだ弟子たちには信仰が分かりませんでした。イエス様が十字架について死んで復活させられるまでは。いや誰にも分かりませんでした。ただこの方の死によって世の罪が贖われ、わたしどもが救われることを。イエス様がすべての人のために死ぬことで世の救い主となられることを。クリスマスに博士たちとともにこの方に捧げたのは、黄金(王なるメシア・キリストへ)、乳香(神から来た聖なる方へ)、没薬(死によって世を救う方へ)だったことが思い出されます。
 主についていく人は主の弟子です。「わたしについてきなさい」は「私の後ろに、さあ来い」でした。今日の「引き下がれ」は「私の後ろに、退け」です。弟子は後ろからついて行くのみ。主の背中からはみ出ずについていくのです。わが主・救い主がわたしどものために十字架を背負うのですから、わたしどもも自分の十字架を背負うのは当然です。そのようにして救われ、命を得るのは当然です。信仰はないけれどもついて行けばよいのです。それをなにより喜ばれるイエス様、天の神様です。

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