宣教への招き(2021.04.11)

4月11日花
宣教への招き
宣教題「 おどるイエス 」 
マタイによる福音書28章11節~15節

 今日の聖書はマタイによる福音書27章62~66節と併せて読むとよくわかります。そして、この挿入された逸話のような物語は、イエスの死後100年以上現にあった、いや今にも続く一つの反論へのキリスト教徒の逆反論と言われています。特にユダヤ人の反論~イエスの墓が空だったのは弟子たちがその屍体を盗んだからであって、イエスは復活などしていない~。この反論に対する反論だというのです。自分にとって紛れもない事実に反することを言われて反論する気持ちは私たちでもよくわかりますが、史実、真実のほどはどうなのでしょう。
いずれにしても復活節の中を歩み出した今のわたしたちにとって、墓は空だった、ではイエス様はどこにいるのか。どこにいて、どうしているのか。この問いに答えることへの促しを受ける今日の私たちです。その促しをどのように感じますか。 
イエス様はどこにいますか? ヨハネによる福音書10章には、羊飼いは自分の羊の名を呼び、羊はその声を聞き分ける。わたしは羊のために命を捨てる。その羊もわたしの声を聞き分ける、とあります。
14章には、わたしはあなたがたをみなしごにはしておかない。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたは私を見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。わたしを愛する人は、わたしもその人を愛して、その人に私自身を現わす。とあります。
更に16章まで読みますと、聖書のイエス様のお言葉から次のことが分かります。
イエス様がどこにおられるか分かる人はイエス様を愛している人です。ですからイエス様が来て下さっているのです。それが分かる人は、聖霊を与えられている人です。そして、その真理の霊はさらに私たちを強めて、やがて来るその日には、すべてがわかる、天国での再会のような、完全な喜びの日となるでしょう。主イエスを愛する人にはもうその日への歩みが始まっています。イエスは言われます。わたしは、わたしの平和を与える。さあ、立て。ここから出かけよう。

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こどものための小説教
https://youtu.be/C0Rl4D3g2Wo
宣教「おどるイエス」
https://youtu.be/jiaRp79CT_o