宣教への招き(2021.05.02)

5月1日花

宣教への招き
宣教題「 歩こう 主イエスの道を 」 
ヨハネによる福音書14章1節~11節

 詩篇98編は実に力強く、確信に満ちて、私たちの心を躍り上がらせ信仰を鼓舞する。「新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。主は救いの御業を果たされた。主は救いを示し、地の果てまですべての人は、私たちの神の救いの御業を見た。」だから全地よ、主に向かって喜びの叫びを上げよ、というのである。つまり救いの御業は完了した。
その驚くべき御業とは、言うまでもなくイエス・キリストの十字架と復活であろう。これが神の救いの御業である。だが世界の歴史は途上にある、完了していない。神の救いの御業すなわちイエス・キリストの十字架と復活において、何が完了し、何が決定したのであろう。詩編98編の結語は「主は来られる、地を裁くために。主は世界を正しく裁き、諸国の民を公平に裁かれる」である。つまり、終わりの時の公平な裁きこそ世界の救いである。それがイエス・キリストの十字架と復活において、すでに完了した。決定したというのである。矛盾しているように思われるかもしれない。だが、今救われなければ意味がない我々にとって、そうでなければ救われないではないか。今、喜べないではないか。逆にそうでなくてはおかしいのである。
すべての人にとって救いは裁きである。裁きは変わらざる真理によってなされる義しさであるゆえに公平である。生きられること、滅びではなく命こそ義しいことであり、義しさとは命であり、救いである。こうして裁きは人を生かす。
神がイエス・キリストにおいて即ち父が一つである子において成し遂げられた救いの御業とは、十字架と復活。それは驚くべき恵みの御業、神の変わらざる愛と真理を示す究極的な裁きの御業である。裁きの結果、決定的に明らかになったことは、罪と悪は滅ぼされること。義しさとは命のこと。死は命に勝たないこと。これをイエス様が教えて下さるのだから、主イエスは道であり、真理であり、命である。あなたの救い主イエス様は神様なのだ。主イエスの道を行って共に勝利しよう。

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こどものための小説教
https://youtu.be/Fw0pwOzOpic
宣教「歩こう 主イエスの道を」
https://youtu.be/2ysm4HIWz1c