宣教への招き(2021.05.09)

5月9日花②

宣教への招き~イエス様が祈って下さっているのを知っていますか~
宣教題「 イエスの祈り 」 
ヘブライ人への手紙7章21節~25節

 詩篇95編は「主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向って喜びの叫びをあげよう」と始まる。主に救われた者は新たに造り出された主の民だ。その喜びをすべてをあげて感謝し、賛美して喜び祈ろう。この救いは謂わば出エジプトのこと。主が主の民を贖いだされたことである。その救いを通して「主はわたしたちの神、わたしたちは主の民」と自らのアイデンティティーを強固に持つものとなったのである。 
その救いの御業によって、主の民は「主こそわが神、わが救いの岩、わが創造者、わが羊飼い」、生ける神と主を知った。同時に主の民は「我らはその群れ、主に養われる群れ、御手の内にある羊」と強固に結ばれた絆(契約)に生きる自らを知った。われらは主のもの。その感謝と喜び、平安のゆえに、主を心から礼拝し、主に従って生きる。そのゆえの力に満ちた賛美がここにある。ところが、である。
途中に、「今日こそ、主の声に聞き従わなければならない」とあって、この羊はかなり頑なであり、心の迷った民なのである。あの喜び、あの約束の絆のもとに始めた旅、神ともにある旅なのに、今日も、神なる主を試し争い神を試みる者であった。
出エジプト記17:1~7によると、旧約聖書の言葉でメリバとは争い、マサとは試しのことである。主の命令によりシンの荒れ野を出発して旅程に従ってレフィディムに宿営したが、民の飲み水がなかった。民はモーセと争い、「水を与えよ」と神を試した。疑ったのである。そしてモーセを石で打ち殺そうとしている。主は言われた「見よ、わたしが立っている岩の上を打て。」そこから水がほとばしり出て民は飲むことができた。主が備えて下さらないわけがないのである。主は必ず救い給う。
申命記32章にモーセの歌があり主が主の民を愛したことをこう表現する。「主は荒れ野で彼を見出し 獣のほえる不毛の地でこれを見つけ これを囲い、いたわりご自分の瞳のように守られた。鷲が巣を揺り動かし ひなの上を飛びかけり 羽を広げて捕らえ 翼に乗せて運ぶように ただ主のみ、その民を導き」給う。
人間の祈りも、信仰も、無償の神の恵み憐れみなくしてはあり得ないのである。

宣教をYouTubeに公開します
宣教「イエスの祈り」
https://youtu.be/YSy1uD1u9P4