宣教への招き(2021.07.11)

7月10日花③

宣教への招き
宣教題「 口ばかりでなく行いを 」 
使徒言行録 19章13節~20節

今日の御言葉。前半は人間「言行一致」が大事であって、日頃私たちがしていることはこの世ならぬ霊の世界にも通じていて、私たちの本心はあちらにはお見通しである。エフェソの町で、パウロのことも認めずイエスの名を信じてもいないユダヤ人の旅の祈祷師が「パウロが宣べ伝えているイエスの名によって命じる」とやっていた。下っ端の悪霊ならば退散したかもしれない。しかしユダヤ人祭司長の息子までが戯言で、兄弟七人で揃いもそろってそんなことをしていた。それで、悪霊が言い返して来てひどい目に遭ったというのである。悪霊たちは彼らに叫んだ、「イエスのことは勿論知らないわけがない(マルコ1:24,3:11)。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。」恐ろしい話である。わたしたちも、信じてイエスの名によって祈り、心からイエス様を信じて日頃から行っているだろうか。
後半は、この出来事がエフェソに住むユダヤ人やギリシア人すべてに知れわたり、恐れが人々の心に湧きあがり、「主イエスの名」が大いにあがめられるようになった。すでに信仰に入っていた人々も、パウロたちのところに来て、自分たちの悪行をはっきりと告白して罪を悔い改めた。魔術師たちも「イエスの名」の勝利と自分たちの敗北を認めて、罪滅ぼしに使用していた魔術書を皆の面前で焼き捨てた。このように「主の言葉」が勢いよく広まって、更に力を増していった。
思えば、「イエスの名」は神であるイエスそのものであり、「主の言葉」もまた、神の使命と力をもって生きて働くのである。言は神ご自身であった。言は人を照らすまことの光であった。言に命があった。人はそれによってこそ本当に生きる。神の言葉は必ずご自身のみこころご計画を成し遂げ、その使命を必ず果たし、むなしくご自身に戻らない(イザヤ55章)。究極の「言行一致」である。
神の言葉によって生きる者も当然「言行一致」でなくてはならない。神は生きておられる。私たちも滅びてはならない。本当に生きる者として生きていきたい。
「主イエスの名」は生きている。主イエスは生きてあなたと共におられる。

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宣教「口ばかりでなく行いを」(こどものための小説教も含む)
https://youtu.be/PtxEUNUNxhU