宣教への招き(2021.09.05)

9月4日花③

本日の宣教への招き 
 マタイによる福音書も18章まで来た。ここに「教会(エクレシア)」という言葉が2回出てくる。他の福音書にはなくマタイ福音書にだけ3回(あと一回は16:18)出てくる言葉だ。イエス様がこの言葉を使かったか使わなかったかは分からない。しかし確かにイエス様を信じて従う群れに対して、マタイ福音書の記者が「教会」ということを言わなければならない現実の問題があったと読むことができるだろう。つまりここでは、公生涯のイエスの福音宣教と十字架と復活のあとペンテコステを経て誕生したキリスト教会の現実との矛盾・ギャップを感じざるを得ない。しかし、「それもまたよし。」であろう。
 今日の聖書のはじめの段落は、「これらの小さな者の一人」を軽んじることのないように、そのような者が一人でも滅びることのないようにというイエスの福音の教えを、教会は何をおいても第一にすべしと語っている。「はっきり言っておく」と御国までも鳴り響く絶対的な神の言葉として釘をさすのである。
 次の段落で再び「はっきり言っておく」とある。「つなぐ」とは罪あり、とすること。「解く」とは咎めなしとして赦す、ということで、それほどに重い責任を教会は担っているということである。しかし、ここでの肝は、その際にもキリストの教会は、どんな時もあの(前段の)イエスの生ける福音の教えを第一とする。つまり神の愛のご支配を第一にすることなのである。現実には大変な困難が伴う。矛盾と見えることもあるだろう。しかしそれでも、神様の愛を信じて服することへと努力し続けることが大切でそこが外せない。外したらイエス・キリストの教会ではない。神の国の福音の現実とこの世の現実のはざまでの切磋琢磨が大切なのである。
私たちの地上の「教会」で、心を一つにすることはそれほど尊い。使徒信条を唱えてみよう。私たちの教会は使徒信条で告白している教会なのである。

今週のこどものための小説教と宣教をYouTubeに公開しています。
こどものための小説教
https://youtu.be/LVgf6qOAd6o
宣教「心をひとつに」
https://youtu.be/2SMyiGW1TEU