宣教への招き(2021.09.12)

9月11日花②

本日の宣教への招き 
 冒頭のイエス様とペトロの対話と結びの教訓に挟まれて天の国のたとえがある今日の聖書。冒頭はルカ17:4に主の言葉として「一日に七回あなたに対して罪を犯しても七回、悔い改めます、と言ってあなたの所に来るなら、赦してあげなさい」とあって、それをマタイ福音書記者がペトロに言わせているようだ。当時のユダヤ人は同じ人に罪を赦すのは三回までと考えていたらしくイエス様は兄弟に対して驚くべき寛容を教えている。ところがマタイではなんと「七の七十倍」と無限の赦しを語る。これは数えることを無意味にするほどの無限の寛容さで、しかも無条件に人はこの赦しを神様から与えられている。ここでイエスはそう教えている。 
 そこで、たとえは、神の桁違いの寛容を語り、一方で人の不実を描き出す。王は到底返済できない莫大な借金を持つ家来を赦す。1万タラントンとは実際にヘロデ大王に上納された年貢が900タラントンというから非現実的なまでに多額の負債だ。家来がしきりに願うので王は本当にこの家来を憐れに思って赦す。まさに無限の愛だ。しかし赦された家来は感謝もせずに彼に借りのある仲間を責め立て牢に入れるこの無慈悲さである。
ところが話はそこで終わらずに、今度は王が怒って、あの赦した家来を牢に入れる。王は二度裁き、一度は赦し、二度目は赦さない。
さて、三回目はあるのだろうか。どうも話の土台がずれてくる。罪の赦しは三回?七回?七の七十倍?神様は無限に寛容なのではないのだろうか。
 一度目の裁きは主イエス・キリストによる救いを表している。二度目の裁きは終わりの時の裁きであろう。私たちの今は主イエス・キリストの十字架によって赦され救われている今だ。終わりの時へと開かれている今だ。だからこそ人はそれぞれ心から兄弟を赦して生きていこうと励ましているのだ(35節)。私たちの今は次のみ言葉のとおりである。Ⅱコリント5:10、そしてローマ8:1。私たちの今はそういう天の国なのではないか。

今週のこどものための小説教と宣教をYouTubeに公開しています。
こどものための小説教
https://youtu.be/psXhey-AB5I
宣教「天の国とは」
https://youtu.be/agT0I3V7N2k