宣教への招き(2021.09.26)

9月25日花

本日の宣教への招き 
 今日の聖書を読んで思うのは、「わたしは本当に見出されたのだな」ということである。神がわたしを呼び求め、さがし、見出してくださった、その憐れみと愛にただ感謝、感謝である。
働くなら、就職するなら、こんなぶどう園で働きたいなぁ、でもわたしの場合に限っては、どうやって就職したらいいのか、長いこと分からなかった。きっと神様は、夜明け前に起きて準備して、夜明けに出かけて、それこそ一日中探してくださって、ようやく日も暮れようとする5時ごろに、わたしを見出してくださったのだ。有り難いことである。でも、なぜ気が付かなかったのだろう。
「なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか」・・・なんと、ぶどう園の主人が直々に来て雇ってくれた。もしかしたら、この主人はこれまでも色々な人を遣わして、何度も声をかけてくれていたのかもしれない。その招きに応えていればもっと早くにぶどう園にたどり着いていたのかもしれない。主人が来てくれないと応えていかないというのは、自分があまりに尊大なのかもしれない。それは十分に考えられる、何様だとでも思っているのか、わたしの罪は深く大きい。また、そんな不遜なわたしは、その人々に勧められても応えなかったり、いろんな働き口はあるのに、選り好みして「だれも雇ってくれない」とうそぶく、というのは十分に考えられる。この主人はわたしの罪深さをお見通しで、直々に目の前にお現われになった。驚き恐れ震える思いだ。「汝、来たりて見よ」「わが名によって生きよ」と招く主人は十字架の血潮したたるイエス・キリストかもしれない。
神さまのもとで働くことは、何にもまして幸せだ。喜びだ。まるで、そう天の国だ。おっ、美しい夕焼け、もうすぐ、今日の仕事も終わりだ。
こんなことを書くようになったのはわが人生も終わりが近い、というところか、これまた有り難い、感謝なことである。

今週のこどものための小説教と宣教をYouTubeに公開しています。
こどものための小説教
https://youtu.be/0brujFLlOq8
宣教「労働、人生、天国」
https://youtu.be/LmQhdL8Ph_E