宣教への招き(2021.10.10)

10月5日シュウメイギク②

本日の宣教への招き 
 「わたしは福音を恥としない。福音は、信じる者すべてに救いをもたらす神の力である。」ローマ1:16の、福音、この力を世界の果てのあなたまで知らせずにはおられないパウロは、この力にこそ捉えられて、この力に自由を得て、官憲に捕らえられてまでして囚人として当時世界の中心であるローマへと向かう。そのパウロの到着前に、ローマの信徒へと書かれた手紙が本書である。
12~13章は、福音によって信仰者が新しくされ、心に平安を得ただけでなく、信仰生活を保って今から終末の時までどのように生きるべきか、その力によって信仰から信仰へと生かされる救われた者の新しい生き方が示されていると言われている。曰く、最初に信仰者の基本的ありよう(12:1~2)、続いて個人的倫理(3~21)、社会的倫理(13:1~7)、まとめ(8~14)。これらはパウロの牧会活動の中で繰り返し語られてきた信仰者の生活の勧めの要約ともいえる一般的勧告となっている。
そこで、本日の聖書箇所だが、聖書がいつの時代にも通用する普遍的生活綱領であるかのように思われているように、この箇所も国家や権力に対する信仰者や教会のとるべき態度の聖書的根拠とされてきた。だが、ようやく20世紀後半に変わった。  
パウロは、終末の到来を間近とした宗教的熱狂主義が現実社会を無視したり、政治的抵抗運動が自身を破滅の道に導かないように訓戒したのである。このところからキリスト教倫理や国家と教会を論じる神学を導くことはできない。パウロはただ、信仰生活が守られ、愛と希望に生きることが守られるために、当時のローマ帝国内での市民的道徳を説いたまでである。愛と希望の源である信仰生活がすべてのことから守られるように、ただそれだけである。中心聖句は7節の「すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。」であろう。その観点からのみここでは語られている。しかし、これが実に8節以下の愛の教えとつながる。隣人愛は神から大きな愛(借り)をいただいた者同士がお互いに果たすべき義務なのである。

今週のこどものための小説教と宣教をYouTubeに公開しています。
こどものための小説教
https://youtu.be/vWHjhaVlXes
宣教「主役はだれか」
https://youtu.be/HnGnMJAscMY