宣教への招き(2021.10.31)

10月30日花

本日の宣教への招き 
今日はカインとアベルのお話。先週わたしたちは、人は一人でいるのはよくないので、神は人に、ふさわしい助け手=お互いに向かい合う同伴者・仲間・隣人・助け手を与えて下さったと聞きました。人間は互いに対等に相互的な存在であること。共に生きる存在として人は生きるものだ、という神の思いを聞いたのです。その最たる者である兄弟を人はなきものにしてしまいます。人類最初の殺人の話です。
そのくだりはこう始まります。人は妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産んだ。「わたしはヤハウェと共にあって一人の男を得た」と言った。得たというのは、カーナーという元の言葉ですが、やった~という喜びの叫びとともにひとかどの不遜さを感じます。このカーナーに掛けてその男をカインと聖書は言うのかもしれません。またケ二族は死海南方の勇猛な放浪の遊牧民族でヤハウェを熱狂的に信奉するが争いを好むらしい。カインとはもともと槍を意味するのです。一方、アベルという言葉はもともと息を意味して、はかない、空しい、無意味な、ということなのだそうです。兄弟の人柄が目に浮かぶようです。日が経って二人は別々にヤハウェに捧げ物を供えて礼拝をしました。捧げ物や礼拝はそれぞれの生活様式、文化を反映するものだとつくづく思わされます。さてこの礼拝を巡って、捧げ物を巡って人殺し、いや兄弟殺しが起こったのです。死体はすでに埋められていました。
聖書は大昔の話でなく、今の私たちの事柄として通用します。私たちの世界はどうしてこうなのだろうかを考えさせ、違った生き方を示してくれるものです。人はどうして怒るのでしょうか。なぜ争いや戦争をするのでしょうか。人は罪を犯さない責任がないでしょうか。それにしても、神様はなぜ優先してアベルとアベルの捧げ物だけを受け入れたのでしょうか。そのわけを知って神様との関係を正しくすることが大切だと思います。聖書は、神様は、聞く私たちすべての人に語っています。お前が正しいのなら顔を上げられるはずではないか。

今週のこどものための小説教と宣教をYouTubeに公開しています。
こどものための小説教
https://youtu.be/mWNQc8rHm50
宣教「どうして怒るのか」
https://youtu.be/0yMX6MFH__g