宣教への招き(2021.11.07)

11月6日花

本日の宣教への招き 
詩編交読では「聖なる御名を誇りとせよ。主を求める人々よ、心に喜びを抱き、主を、主の御力を尋ね求め、常に御顔を求めよ」(105:3,4)と唱和しました。常に神のみ顔をたずね求めることを今日、私たちは聖書から教えられます。人は誰もただひとり見知らぬ神のみ顔をたずね求める旅を行くのが一生ではないでしょうか。 
この世に生を受けて世を去るまでの旅、それはさすらいではありません。さすらいは行くところを知らないあてどない旅だからです。行くところを知っている旅は巡礼のようなもの。いつでも目標への途上にある、いつでも今が意味のある時と場所となるのです。すべての人が出てきたところに帰ると知るならば、私たちは常に天の神さまのみ顔をたずねて、心に喜びを抱き、そこからの力を尋ね求めて歩んでいくことができるのです。
み顔を尋ね求めることは自分の造り主である神様を前にして真正面に向かい合って1対1で対面することです。想像できますか。大それたことです。畏れ多いことです。私たちの主イエス・キリストのお取り計らいによってそのことが可能になっているのです。そこで怒られて罰せられ罪ありとされ滅ぼされるのではないかという不安を、イエス様は十字架の身代わりの死によって取り払われたのです。私たちはその時を喜びに満ちる感謝と礼拝の時として待ち望むことが許されているのです。
さて、私たち、と言ってきましたがそれは誰のことでしょうか。本日は聖徒の日ですから、聖徒だけに許されたことでしょうか。いいえ。わたしは神様から生を受けたすべての人が神様に愛され選ばれ神様のものつまり聖とされている聖徒だと思うのです。みんなが御心に適う大切な神の子、そこから出て御許に帰るべき愛する子なのです。そのことを示されて人間世界では生まれるとすぐ皆洗礼を授けるようになったのです。これは神さまのものである、と。そしてそのことを言わば思い出し確かめて歩いて行くのが私たちの生活であり、人生の旅なのではないでしょうか。
                                                                                                                                                                   
今週のこどものための小説教と宣教をYouTubeに公開しています。
こどものための小説教
https://youtu.be/zud3OPCRWzM
宣教「み顔をたずねて」
https://youtu.be/3agLebWSLdM