宣教への招き(2021.11.14)

11月13日花②

本日の宣教への招き 
今日の詩編交読では「思う」という言葉が6回も出てきた。詩人はまさに思い悩んで呻き、なえ果てようとしている。だがその中で彼は、いにしえの日々を思い、昔の歌を思い出し、主の御業を思い、主の奇跡と働きと聖なる道を思い起こし、同じように、今も生ける主なる神を呼び求め、その助けを信じて叫んでいるのである。
では、いにしえの日に主は何をしてくださったのか。「御腕をもってヤコブとヨセフの子らを贖われました」(16節)とあり、その御業を「出エジプト」と言う。
「出エジプト」は詩人にとっては過去のことである。一方、今日の聖書の出エジプト記の御言葉は「出エジプト」以前のこと、主はモーセにご自分を現わし救いの約束をするのである。しかしそこには更に以前の主の約束があった。「わたしはまた、彼らと約束し、わたしの契約を思い起こした」(4,5節)とある。はじめの約束をたがわない真実なる神、主ヤーウエは、今、ご自分の大切な者たちがエジプトという異郷で不当な力のくびきを負わされて呻きもがき苦しんでいるのを黙っていられない。それを見て叫びを聞いて、はらわたがよじれ引き裂かれるほどになってしまい、いにしえの日に確かに交わした約束をありありと思い起こすのである。
一方、神が選んだご自分の宝の民だが、いつも主に従い誠実を尽くすほど立派ではない。意志薄弱、移り気で不真実で信頼の薄い彼らは悔い改めること僅かで、かたくなである。しかし主は彼らを見捨てない。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフと交わした神の民への約束を子々孫々に対して誠実に果たしたもう。神の真実・誠実と慈しみゆえに400年を経てモーセを立て、大いなる御腕をもって約束の地へと贖う。その御業こそ「出エジプト」、これを経験したものをイスラエルと言う。
さて、私たちもまたかつて異郷で非人間的な罪の支配のくびきを負わされ、イエス・キリストの血によって贖われ第二の「出エジプト」を経験したイスラエル。われらは約束の地へと主に従う羊の群れ。今や、主のもの。イエスこそ、主である。
                                                                                                                                                                   
今週のこどものための小説教と宣教をYouTubeに公開しています。
こどものための小説教
https://youtu.be/N8jAqXU2LIk
宣教「救いの約束われらに」
https://youtu.be/FpMdQ0nC7Zg