宣教への招き(2021.12.05)

12月4日花

本日の宣教への招き 
アドベント、第2のローソクは天使のキャンドル。平和の光をあらわすと言う。しかし、わたしたちは今日の聖書のどこに平和の光を見出すべきであろうか。そうだ、6~7節の「ところが、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉おけに寝かせた。」というところ以外に、人間の温かさのような平和を感じることができない。強大で暴力的で冷徹な力が支配するこの世の現実のただ中を貧しく若いヨセフとマリアは歩き続け、やっと故郷の町に着くが、彼らを受け入れる余地もない。いやマリアにとって、パートナーのヨセフさえ、いったんは離縁しようとしたのであった。しかしマリアは、あの天使の神からの不思議な言葉に身をゆだねるのみである。彼女は神さまを信じる、主のしもべであった。主なる神が自分の苦しみに「目を留めてくださった」。その主のみこころに感謝して、喜んで主に従うのみである。ただただ、ひたすらに、飼い葉桶に寝かせられた布にくるまった生まれたばかりの子を守りたい。この子こそ、平和の光である。
今日の詩編交読では113編を読んだ。
「主はすべての国を超えて高くいまし、主の栄光は天を超えて輝く。わたしたちの神、主に並ぶものがあろうか。主は御座を高く置き、なお、低く降って天と地を御覧になる。弱い者を塵の中から起こし、乏しい者を芥の中から高く上げ、自由な人々の列に、民の自由な人々の列に返してくださる。子のない女を家に帰し、子を持つ母の喜びを与えてくださる。」これぞ平和だ。主は高い天からおいでになって地に平和を回復される。救い主イエス・キリストこそわたしたちの平和の光である。
子のない女の苦しみの回復はサムエル記上1、2章のサムエルの母ハンナにも見られる。彼女も「はしための苦しみを見てください」(1:11)と悩み嘆いて激しく泣いて祈り、2章で賛歌を歌った。マリアもルカ1:48で歌い喜んだ。わたしを見てください!という祈りに神様は「わたしは見捨てない」と答えて下さるのである。
                                                                                                                                                                   
今週のこどものための小説教と宣教をYouTubeに公開しています。
こどものための小説教
https://youtu.be/1upI9dkIt-k
宣教「わたしは見捨てない」
https://youtu.be/JQZ-IEscSsU