宣教への招き(2022.1.9)

1月8日花

本日の宣教への招き 
お正月休みの晴れた午前、常磐線の踏切を渡る時にふと分かったのです。こんないい天気は春の日差しだ。道端に復活のイエス様が立っておられる。どこに行くのだ?わたしが共にいるよ。「おはよう」(聖書ギリシャ語では「喜びなさい」)。そしてこの度クリスマスで神の御子救い主イエス様のご降誕に際し共にいただいた神の御言葉は「おめでとう、恵まれた方」。このおめでとうも「喜びなさい」だ。
人生いかに生くべきか。当たり前のようだが、それはこのイエス・キリストが共にある喜びに生きることなのだ。人生は主に在る喜びだ。このことを気づかせてくださり、ますます教えてくれる方が聖霊なのである。
さて、この喜びに生きる者は言わば死んでも死なない永遠の命の交わりに入れられて生かされている。その生き方(いのち)は神様との交わり=父・子・聖霊の交わりである。御子を信じる者の幸いであり、救いの恵みに感謝!まさに喜びである。
人間は神ではない被造物なのだから、本来この神の命の交わりには入れないのに子なる神であるイエス様の御名に免じてそこに入れられるのである。イエス様を信じる者は神の子の資格を与えるという御言葉の通りに、神様が特別に恵んでくださってイエス様を信じる者をそう認めてくださる。主イエス・キリストの恵みである。
イエス様を信じる人はイエス様がお受けになった洗礼を授けていただく。それで主イエスと結びつく。父・子・聖霊による洗礼は、人が父・子・聖霊の交わりへと入れられた恵みのしるしなのである。神の子イエス様が人間から洗礼を受けた。神を信じることは頭を下げることなのだと思う。つまり誰でも人から洗礼を授かる。
自分ではできない。だから洗礼はやはり特別な神の恵みがその人に施されたしるしであり、教会は「洗礼の恵み」という言い方をするのである。洗礼を授かっている人は皆に洗礼を受けてほしいと心から願っている。だれでも洗礼に与ることができる。恐れずに神を信じ主イエスと共に生きて喜んでほしい。「喜びなさい」だ。

今週のこどものための小説教と宣教をYouTubeに公開しています。
こどものための小説教
https://youtu.be/xAi917Fx3Y8
宣教「父・子・聖霊の恵み」
https://youtu.be/MtFU3IPVuP4