宣教への招き(2022.1.23)

1月22日花

本日の宣教への招き 
「神の国は近づいた」・・掲示板に掲げられたその文字を見て改めて気がつく。今日の聖書は、このようにして、まさに「神の国が近づいた」と記している物語であり、近づいた「神の国」とはこういうものである、とその神の国の内容を言い広めている物語である。要するに、救い主が神の国から来られて、神の国のことをこの世に教え、宣べ伝えており、神の国は神の子と共にあなたのところに来ている。私たちにも、そういう現実を今日の聖書は語り、この福音を信じなさいと呼ばわっているのである。聖書を通して、そう生ける主イエス様ご自身が招くのである。
安息日に会堂に入って教えられたその教えはどのようなものか。それは、このような権威ある教え。このような驚くべき新しい教えである。それがこれである。
その教えとは、イエスが宣べ伝えた宣教の言葉そのものであり、その内容そのものであり、イエスのなさった出来事そのものであり、イエス様ご自身である。
「神の国」がイエスとともに来たのである。権威をもってあなたに来たのである。
今日の聖書ではその「神の国」が近づいていることを、イエスという神の子が悪霊(=汚れた霊)を追放し、汚れた霊に取りつかれた人を救った出来事を通して宣べ伝えているのである。この出来事での神の子イエスと悪霊との凄まじい対話、闘いの様子、言葉のリアリティと意味は、神の子イエス様によって救われたこの私たちにも「記憶の残像」として残っているのではなかろうか。イエス様は人をいつまでも汚れた霊のなすがままにはなさらない。その人にやってきて、神の権威をもって汚れた霊を追放し、痛みは伴うだろうが、神の支配へと救い出すのである。
 汚れた霊にものを言わせない神の権威による沈黙命令「黙れ」は4:39にも「静まれ、黙れ」と出てくる。これはすべてのものの創造者の権威をあらわすだろうし、そうであれば、無から有を生み、死人を甦らせる神の大能をもあらわすだろう。詩編46:10口語訳では「静まって、わたしこそ神であることを知れ」とある。

今週のこどものための小説教と宣教をYouTubeに公開しています。
こどものための小説教
https://youtu.be/iJsjfdG9Qp4
宣教「神の国は近づいた」
https://youtu.be/JCXd-l9tZrc