宣教への招き(2022.4.3)

4月2日花
宣教への招き
クリスチャンの人生とはどんなものだろう。私たちは断言する。洗礼を受けてクリスチャンになって生きていく人生、それは絶対に損はしない。幸せに満ちた、恵みと祝福に満ちたものになる。幸せな人生、神の恵みと祝福に満ちた人生である。しかし、ゆめゆめ忘れるなかれ。そのためにイエス様がどれだけあなたを愛して下さったかを。あなたのために苦しみ、苦難の道を行き、罰を受け、死に、そして復活されたことを。それはあなたのために神の子が、命を注ぎだして仕え、あなたの命を取り戻すために、ご自身の命を身代金として捧げることだったのである。イエス・キリストの御業、あなたのための苦しみと十字架と復活という分母の上に、そこに拠って立ってあなたの幸せ、恵みの祝福の人生がある。すごい幸せだ。
イエス様はあなたの救い主である。あなたを滅びに至る罪からご自身の命を身代金として神のもとへと救い出してくださった。もう神のものとして神の御前に生きる者としてくださった。滅びない命へと救い出してくださった。一度限り神の子があなたをあの十字架の贖いによって神の御前へと救い出してくださったのだから、ご自身の御子を十字架につけるほどの愛をもって神様はあなたを愛して下さるのだから、あなたはどんな窮地に陥っても必ず救われるであろう。いつでもどんなときもイエス様は来て聖霊を通してあなたを、助け導き、救い出してくださるであろう。あなたは神さまのものだからである。イエス様はいつもあなたの救い主である。
そのあなたは、神様の輝く命のもとに生きる。ただ生きるのではなく、救い主によって立って生きる。ただ生きるのではなく永遠の命へと救って下さった救い主を主として生きる。あなたを救った方があなたの主だ。あなたは主のもの、主に従って生きる、主の弟子、クリスチャンだ。救い主の言葉を守り、導きに従って自由に生きる、喜んで生きる、感謝して生きる。それでも時々イエス様の愛を忘れて窮地に何度か陥るだろう。そんなときは思い出すのだ。自分は誰だったか。自分の主は。自分は誰のもの。誰を主として生きるべきか。そのために洗礼の印がくさびになる。そして分かっていく。受けるべき苦難も死も命も主と共に受けるとこしえの幸いを。

今週のこどものための小説教と宣教をYouTubeに公開しています。
こどものための小説教
https://youtu.be/yAH0IAqXsbA
宣教「クリスチャンの人生」
https://youtu.be/RPhe4o6Npno