宣教への招き(2022.5.29)

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宣教への招き
本日は復活節第7主日。その前の木曜日が「昇天日」でした。昇天とは、広義では人が天(神的世界)に移されることを意味しますが、新約聖書ではもっぱら「主イエス・キリストの昇天」です。では主の昇天にはどんな意味があるでしょうか。
原始キリスト教会はまず「イエスは復活されたのち、天(神の右)に上げられた」と信じました。「神の右に上げられた」というのは天高くにおられる神が最も信頼する者として、その神と同等の力を持つ方として、すべてのものとすべてのことを下におく、地のすべてを支配する者として天に上げられて、そこに着座したということです。簡単に言うと、神の主権を委ねられ、全世界と全歴史の主とされることを意味するのです。使徒信条で、主は「三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。」と私たちが唱えている通りです。
ではなぜ主は昇天されたのでしょうか。第一にそれは、御子イエスを信じる者をすべて、父なる神のもとに迎えるためです(ヨハネ14:1~4)。同じく12:31,32には「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとに引き寄せよう。」と主イエスが言われ、これは御自分がどのような死を遂げるかを示そうとしたのだ、とあります。イエス様は、すべての人のために十字架に上げられ、すべての人のために死に、すべての人のために復活させられ、すべての人のために天に昇り、すべての人を引き上げようとなさっているのです。これが神のみこころです。あなたもこれを信じ、このみこころのうちに生きることが、永遠の命を生きることです。父と子との霊なる交わりのうちに生きることです。それが神を知ることなのです。知るとは、信じ、愛し、主イエスの御名によって生きることです。
主の昇天の第二の目的は、御子イエスを信じる者が、イエスの名によって祈り、与えられ、喜びに満たされ、すべてのものが、喜び喜んで喜ぶためです。
そのために主イエス・キリストが十字架に上げられ、天に上げられる前に、すべてのもののための執り成しを父なる神に祈って下さった。それが今日の御言葉です。

今週のこどものための小説教と宣教をYouTubeに公開しています。
こどものための小説教
https://youtu.be/TFdxP6Cgfmo
宣教「キリストの昇天」
https://youtu.be/VVH139AxUuM