宣教への招き(2022.7.31)

7月30日花

宣教への招き
今日の聖書はパウロが「主の僕の歌」という預言者イザヤの言葉(イザヤ書49章)を引きながら、神は「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」なのだと言っておられると伝えています。よろしいでしょうか、「今」は恵みの時、救いの日なのです。
パウロがここで語る「今」とはどんな時でしょう。少し前の5章17節から読んでみると分かるのですが、それはキリストの和解によって救われている今です。今、わたしたちはキリストと結ばれて「新しい創造」の中に入れられているのです。今や神はキリストを通して私たちを御自分と和解させられています。そこで私たちに、人々の罪の責任を問うことなく和解の言葉をゆだね、それだけでなく和解のために奉仕する使命をお授けになったのです。キリストの恵みのもとにある今は、救いの喜びをもって仕える喜びへと導かれている今です。これがわたしたちの今なのです。
とはいえパウロはキリストに仕えて生きることが容易なこととは言っていません。わたしたちクリスチャンの奉仕の務めつまり信仰生活には、たくさんの困難と試練があり罪が機会をねらって待ち構えていています(6:3~8)。キリストを信じ、仕えるゆえに悪の諸霊との戦いがあるのです。(エフェソ6:12、ヨハネ15:18~21)。
今年のペンテコステ以降、わたしたちは聖霊に力づけられ守られて教会の使命を授かっている、つまり教会は①神の言葉を語り、②悪の諸霊と戦い、③遣わされている、と示されてきました。パウロはここで同じことを語っているのです。パウロは、この信仰の戦いには「左右の手に義の武器を持て」と勧めています。(7節)。
義の武器とはなんのことでしょうか。わたしはそれはキリストのことだと思います。イエス様のことです。信仰の戦いにおいて、イエス様に心の内に住んでいただくことこそ、最高の武器ではないでしょうか。武器とは穏当ではないですが、イエス様を心に持つだけでわたしたちは戦わないで済むのです。もとより信仰生活は悪の諸霊をやっつける戦いではなく追い払う戦いです。イエス様を持っていないと追い払えないのです。信仰の日々の戦いにはイエス様が必要です。キリストに仕える信仰生活なのですから、人生ゆめゆめキリストなしに勝利できると思うなかれ。

こどものための小説教
https://youtu.be/IMKOGrvPxak
宣教「 キリストを持つ 」
https://youtu.be/vYjoElz1cLc