宣教への招き(2023.5.21)

5月21日花①

宣教への招き     
キリスト昇天の意義の一つは讃美歌21-337に見事に歌われていた。それは愛するイエス様が十字架に上げられ、神の救いのみ業を成し遂げて天の父のもとへと上げられ神の右の座に着かれたことである(「使徒信条」を見よ)。信じるすべての者を皆、父なる神のもとである天の国に迎えるためにである。主イエスが示してくださったことは、わたしたちは皆、必ず御国の住人となるということである。
主の昇天の意義その二は、福音書記者ルカが使徒言行録1章にも記しているように、復活の主イエスは40日にわたって弟子たちに現れ、神の国について教え、共に食事をした後、「祝福しながら彼らを離れ、天に挙げられた」。結果、その昇天の姿は鮮やかに弟子たちの印象に焼きつけられ、同じ有様でおいでになるイエスの再臨(ダニエル書7:13を見よ)に対する希望を強烈にその魂に刻みつけた。
そして主の昇天の意義その第三は、高きにいます、すべてのものの主イエス・キリストは、世の終わりまで、祝福されたまま上げられたあの主イエスの両の手から、約束の聖霊を絶え間なく送ってくださり、地にある民であるわたしたちを見守り、とりなし祈り、励ましてくださっているということである。
こうして復活の主によって集められた弟子たちは聖霊降臨の約束を受け、主の昇天のときに祝福され、心を合せて約束のものを待ち都にとどまっていた。そしてペンテコステの日に、いよいよその聖霊を注がれて、神の言葉を語り出したのである。
それ以来、今日のわたしたちまでもがその証言を聞き、また、生ける復活のキリストが聞く者の心の目を開いて下さり、このわたしたちも、世の終わりまで地の果てまで、「その名によって」「これらのことの証人となる」のである。
これからも復活のイエス・キリストが聖霊によって聞く者の心の目を開き、人々に語られる。これはすべて、私たちがペンテコステの日ののち、日に日に仲間に加えられて知らされ、自分たち自身に実現したことである。
神の言葉を受け、生きて喜び、分かち合い、賛美して步こう。いつまでも。私たちを通してもまた神の言葉は語り伝えられる。その光栄と感謝に、賛美、ハレルヤ。

こどもたちへの小説教(シャローム)
https://youtu.be/KWeXj6hm2tA
宣教 「キリストの昇天」
https://youtu.be/Jmy3cxLqiYQ