宣教への招き(2023.5.28)ペンテコステ

5月28日花②

宣教への招き      *新約聖書における聖霊
新約聖書に「霊」(プニューマ)という言葉は379回。「聖霊」(ト・プニューマ・ト・ハギオン)は90回出てくる。
① 新約聖書は全体を貫いて、メシア・キリストの時代を告げる聖霊の降臨(ヨエ 
ル書3:1以下)は、すでに生起したと告げている。当時の教会は、主イエス・キリストの到来と、イエスの十字架の死、復活、昇天の出来事を通して、「すべての人々に神の霊が注がれる」という旧約聖書の預言が成就した時代が到来したのと理解に至っている(ヨハネ16:7、使徒2:16~18、2:33,10:45、ガラ4:6など)。
②  パウロにおける「聖霊」理解~教会の聖霊体験は、終末時における「新しいイスラエル」の誕生!を意味した。キリスト者は「一つの霊」によって、民族・国家、階級、性などによる差別の廃棄と双方の「敵意を滅ぼす」(コリ一12:12~13、エフェ2:14~22)。聖霊とは「キリストの霊」である。その結ぶ実は「愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(ガラ5:22、ロマ5:5)であり、教会の徳を高めるものであって、宗教的恍惚状態を招くものではない(コリ一14)。霊における生活は永遠の命と平和に至る(ガラ6:8、ロマ8:6)。キリストの霊は人を「神の子とする霊」であり、神を「アッバ、父よ」と呼ぶことを可能とするものである(ロマ8:15~16、ガラ4:6)。キリストの一つの霊が、キリストの体としての教会の基礎である(コリ一12:13、エフェ2:18、4:3~4)。聖霊は、御国を継ぐ保証である(コリ二1:22、エフェ1:14、4:30)。
③ ヨハネによる福音書による「聖霊」理解の特徴は「別離の講話」(ヨハ13:1
~17:26)中に出てくるパラクレートス(弁護者、助け主)の語に示されている(14:16、26、26,15:26、16:7)。この語が聖霊、また「真理の霊」と同一視されている(15:26、16:13)。パラクレートスは「高挙のキリスト」自身の働きであり、パラクレートスの到来においてキリストは、キリスト者のもとに臨在する。
(日本基督教団出版局『新共同訳聖書・聖書事典』より)

宣教 「ペンテコステから始まって」
https://youtu.be/zZBKe_fWGdU