宣教への招き(2026.7.19)聖霊降臨節第9主日礼拝

7月18日花②

宣教の招き~この種のものは、祈りによらなければ追い出すことはできないのだ。(マルコ9:29)
何によって生き、戦うか。「あなたによって、わたしは敵軍を追い散らし、わたしの神によって、城壁を超える」(詩18:30)。戦いの武器は、人間の力である武器を捨て、神の力によるべきである。祈りも我心による人の業ではない。心から真実に祈り、神が戦う勝利を信じて、神の業が必ずなると信じて祈り生きるべきである。
変貌の山で宗教的恍惚に浸るまもなく下山すると、そこは相変わらずの「信仰のない」現実世界だ。主の弟子たちは律法学者らとの議論に気を取られて、霊に取りつかれた子が、父親が、家族が助けを求めて苦しんでいる。主イエスの、「できればというか、信じる者には何でもできる」という言葉が響き渡る中にも、群衆がわれもわれもと主イエスに迫って来る。イエスの名によって悪霊追放を行なっていた弟子たちの不信仰も顕になる。その間にも悪霊は容赦なく子どもを、父親や家族や、人々を群衆を支配していく。今と同様の、抑圧と抗争に明け暮れる現実である。
主イエスが声を上げた、「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この子から出て行け。二度とこの子の中に入るな。」そして主イエスが手を取って起こすと、子は立ち上がった。「祈りによらなければ」と主は言われた。
わたしたちの現実の戦いの中にこの福音の主イエスが立っておられる。十字架の死によって抑圧と抗争を討ち滅ぼし、これに連なって生きよと復活の主が招いておられる。世に勝利する者よ、福音とは和解と解放の福音である。福音に生きるとはこの主の業に参与することである。わたしたちはよほど、信じること浅く、おのが都合でみだりに神の名を唱え、自ら神となり、本気で祈り行うことが少ない。祈るとは主イエスと一つ心になること。信仰とは真実である。
聖書に親しむクイズ~すべてに時がある    コヘレトの言葉3章
問題1 「定められた時」として記されていないのはどの時でしょうか?
1.死ぬ時   2.踊る時    3. 守る時
問題2 コヘレトが言う、人に許されていないことはどれでしょうか? 
1. 神の業を始めから終わりまで見極めること
2.喜んで楽しんで一生を送ること
3.労苦のうちに幸せを見いだすこと

こどもたちへの小説教(ガリラヤの湖で)
https://youtu.be/bx8L7Y5_-SM
宣教 「神の力という武器~わたしたちの戦い」
https://youtu.be/TJmfh1z_5a0