今週の説教要旨(2017.8.27)

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説教題「 慰めを得る 」
創世記24章62~67節

アブラハムは、老召使いに、自分の出身地に行って息子イサクのお嫁さんを捜してくるように命じました。自分をカナンの地に導き、その土地を与え、子孫を星のように増やすと約束された神様の、その御心のとおりにしなければならないと考えていたのでした。アブラハムの一族から嫁をとるということは、同じ神さまを信じている人を選ぶという意味もあったのでした。
召使いは、神様の導きでリベカと出会い、そのリベカは召使いの話を聞き、神様の御心に従い即座に旅立ちました。おそらく美しいリベカのことですから、相応な相手はその土地にいたに違いありません。いっぽう、イサクも、裕福な家の惣領ですから、これぞと思う娘がいたに違いありません。しかし、二人とも、結婚という事柄に関しても、すべて神様に委ねようという腹が決まっていました。
62節からは、この二人が初めて出会う感動の場面です。イサクがリベカを「見る」、リベカがイサクを「見る」はヘブル語の「ラー」、大事なものを見る時の言葉です。お互いが自分の大切な人を初めて見るとともに、神様に従う者が、神様のなす偉大な業を「見る」光栄に浴す瞬間でありました。この時信仰者は、神様から慰めを得るのです。