今週の説教要旨(2017.9.3)

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説教題「 苦しみと希望 」
ローマの信徒への手紙8章18~25節

本日の聖書のテキストに登場する「被造物」は、人間以外で神様の造られたすべてのもののことを指しています。山や海や動物などの自然がそれにあたるでしょう。神様が造られた自然は美しく、完全のように思われますが、パウロによると、これらは「虚無に服し」、「滅びへの隷属」にあるものだと言います。内村鑑三は「人は天然の美を語る。然(しか)れども美は僅(わず)かにその表面にとどまる。一歩その裏面に入れば、天然は美にあらずして醜(しゅう)である。調和にあらずして混乱である。平和にあらずして戦争である。」と言っています。内村は何をいわんとしているのでしょうか。実は、私たちが自然をめでるとき、私たちの見たいところだけを見ているにすぎない、ということです。被造物の管理者である人間が罪の縄目にとらわれてしまったために、被造物もそのとばっちりを受けて罪に落ち、苦しみにうめいているというのです。確かに、人間の営みによって自然破壊が進み、異常気象が常態化し、自然災害、ヒアリやマダニや、新種のウイルス、放射能汚染などの脅威を見る時に、人間の罪に巻き込まれている被造物のうめきを聞き取ることができます。
それでも私たちは、神様の憐みによって救いの約束を受けました。パウロはⅠコリント15章43節で、最後の時に私たちは「霊の体」に復活すると言います。この時に全被造物が救われ、エデンの園のような完全な世界がこの世に現れるのです。感謝し、その希望を持ち歩みましょう。