今週の説教要旨(2017.9.10)

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説教題「 天の国 」
マタイによる福音書13章44~52節

マタイの「天の国」とはマルコの「神の国」と同じ意味です。「神の国」は、神様の支配される世界のことです。イエス様は「天の国」を、畑に埋まっている宝物にたとえます。それは、「天の国」が私達にとってとてつもない価値のあるものだという意味です。それに対して、人間が支配している世界は「この世」です。「この世」において私達は、「この世」で役に立つかどうかというものさしではかられます。
さて、相模原市の施設で19人が犠牲になった事件から7月で1年が経ちました。この事件の容疑者は、事件の前から「障がい者は安楽死させるのが社会にとって良い」と考え、犯行計画を告知し、逮捕後もその考えを変えていないといいます。この考えは「この世」のものさしをもって人間をはかる考えの極端なかたちです。自分(達)の都合で人の価値をはかることは人間中心の考えです。そして、その考えは私達の世界を支配しており、このものさしによっていまだ多くの人が苦しんでいます。
二次大戦中のナチス・ドイツの「安楽死」計画が、福祉の町ベーテルに迫ったとき、人々は神様のものさしを持ち出して拒否しました。そして犠牲者をひとりも出しませんでした。ベーテルには、神の支配が実現していたのです。私達が神様のものさしによって生きるときに、はじめてすべての人が本当の命を生きることができるのです。神様は私達が大変価値のあるものだと言います(イザヤ書43章)。そして、教会は、到来しつつある「天の国」が実現している場所なのです。