今週の説教要旨(2018.2.4)

DSCN0057
説教題「 主の望み 」
詩編 147篇1~11節

牧師の榎本保郎さんと作家の三浦綾子さんの著作は私に受洗のきっかけを与えました。このお二人には共通点があります。榎本さんは兵隊として、綾子さんは小学校教員として熱心な軍国主義者でした。ところが、1945年の終戦を期に、手のひらを返したように民主主義を標榜してまい進する世の中にはついていけず、自暴自棄になってしまいます。そして、紆余曲折を経て、教会と出会ってクリスチャンになりました。純粋で真面目なお二人は、どのようなことにも左右されず、どんな時も、本当に頼ることができる神様を求めていたのではないかと思います。
本日の詩編147編は「ハレルヤ」という神様の賛美からはじまります。この詩編は、バビロン捕囚という悲惨な王国の破滅と、70年にわたる捕囚生活を経験したイスラエルの人々が、神様の大いなる力と、民に対する大いなる慈しみを歌い上げている詩編です。神様は幾世代にもわたる苦難を乗り越える、奇跡とも思える信仰をイスラエルの民に与えたのです。
「主が望まれるのは主を畏れる人/主の慈しみを待ち望む人。」(11節)。イスラエルの人々は、傲慢な人間が悔い改め、神様を畏れ、慈しみを求めるために、苦難が与えられると理解しました。そして、神様は、御前にへりくだる者をけっして見離すことが無いという確信を持つことができたのです。
私たちも、主イエス・キリストの十字架を通して、主を畏れ、主の慈しみを望む信仰を与えられるよう、祈りつつ歩みたいと思います。