今週の説教要旨(2018.8.19)

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説教題「 ぶどう園 」
マルコによる福音書12章1~12節

イエス様一行がエルサレムに入城しました。神殿の境内において、宗教指導者たちと「権威問答」をします。そして、ぶどう園と農夫のたとえ話は彼らに話されます。その話を聞いた彼らは「当てつけ」だと気が付きます(12節)。この文脈から考えると、「ぶどう園と農夫」のたとえ話は、イスラエルの民を任された宗教指導者たちが、神様が送る預言者たちのいう事を聞かないで、次々とひどいめに遭わせ、最後には神様の御子をも殺してしまうということを表しているようです。
それでは、『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは主のなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』という言葉は何を意味しているのでしょうか。
それは、捨てられた石のように十字架につけられたイエス様が、贖いと復活によって、それまでの神殿に代わって新たな救いの神殿として建てられ、祭司長たちを含めた人々の救いを実現するということです。
ともすれば祭司長たちのように傲慢になる私たちではありますが、イエス様はそのような私たちを赦すためにこの世に来られました。イエス様は十字架につけられましたが、みずからを十字架につけた人々をとりなし、人の罪を赦すための隅の親石となりました。神様は、人を裁くために御子をつかわされたのではなく、赦すためだったのです。それは、まぎれもなく、私たちを赦すためつかわされたのです。このことに感謝し、神様の憐れみに応えることを願いつつ、この週も歩みましょう。