今週の説教要旨(2019. 12. 29)

12月29日説教題

説教題「 行かないで 」
マタイによる福音書 2章1節~12節
 師走も年の瀬とくれば「ゆく年くる年」というテレビ番組があって、過去一年の行くもの往くものをいとおしみつつ新年を迎えるのがこの時節の日本人の心模様か。あるいは降りかかった災い、罪とがを一掃してきれいになってから新年を迎えたい気持ちもあろう。前者も後者も、実は自分は頑として新しくなっておらず、ただ周りや環境を変えたいという願望を示している。しかし、周りが行くのか、自分が行くのか。変わりゆくのは自分なのか周りなのか実はどちらとも言えない。目指すものがあるゆえに、そこを一瞥して行き去ってしまったのでしょうか。いや、そこに立ち止まるべきだったのでしょうか・・・
わたしたちは迷う。でもイエス様を見出した時に、そこからはるかに新しい生き方・思いもよらない新しい生き方が始まる予感がある。そう、新しい生き方。
星に導かれて来た博士(学者?)だったら、真実一路まっすぐイエス様を見出そうものを、ベツレヘムの馬小屋の飼い葉桶の中にいらっしゃるイエス様のところにまっすぐたどり着かないで、永遠の都エルサレムの王宮ヘロデ王のもとに行ってしまった。誰かが、そっちじゃないよ、そっちに行かないで、と叫んではいないか? 
わたしたちはどうだろうか。いま、聞こえないか? クリスマス、神の御子イエス救い主キリストを見出した私たちに、もう離れないで、行かないで、と叫んでいる声を聞かないか? そして、引き返して、御子を見出して、御子を礼拝し、御子をいただき、お受けして御子を宿したならば、今度は行こう。それぞれに与えられた道を、遣わされたところを目指して。そうだ、その時には、別の道を行こう。
クリスマスの光、世を照らす神の御子イエス・キリストのまことの光の中、私たちは新年を迎える。ここから始めよう。ここからすべてが始まっている