今週の説教要旨(2020. 2. 9)

2月9日花②

説教題「 わたしはある 」
ヨハネによる福音書 8章21~36節
 完成まで46年もかかった壮麗絢爛を極めるエルサレム神殿も必ず崩れ去る。形あるものはすべて壊れる、の感を強くした先週の御言葉「宮清め」の段であった。聖書によれば、いつまで残るものは信仰、希望、愛、永遠の命。大切なものは目には見えないのだ。
「宮清め」とは、神殿と神殿礼拝の粛正だった。その後、主イエスは真の礼拝は「あの山でもエルサレムでもなく、今ここでの、霊と真理による礼拝」であると宣言された(4:21以下)。霊と真理、これまた目には見えない。
また、主イエスはニコデモに「新たに生まれなければ、すなわち、霊から生まれなければ、神の国を見ることはできない」と教えられた。神の国とは特定された場所ではなく、神の恵みによる支配領域と言われる。これまた同様目には見えない。つまりは、やはり大切なものは目に見えない。
さて、今日の聖書を私なりに大雑把に要約してみるとこうなる。下のものに属し、この世に属している者は罪のうちに死ぬ。しかし、イエスを見出し、イエスの所に来る者は罪のうちに死ぬことがない。イエスは、この世に属さず、上のものに属しており、父なる神と一つであるところの「わたしはある」という方なのである。イエスを信じ、その言葉にとどまる彼の弟子は、真理を知り自由になる。イエスが彼の弟子を自由にするので、主イエスの弟子はこの世の奴隷となることなく、本当に自由になる。
そうだ、この事態こそ、神の恵みによる支配、まさに目には見えない神の国ではないか。そもそも「わたしはある」ということは、肉眼では見えない。霊の目をもって、言い換えれば、霊から生まれることによって見えるのである。わたしたちは「わたしはある」という方を信じよう。そして、本当に自由になろう。