今週の説教要旨(2020. 2. 16)

2月15日花

説教題「 神の居留守 」
ヨハネによる福音書 5章1~18節
 イエスは十字架死を遂げられた。ユダヤ人指導者らによるその殺害計画の原因というのが16~18節にはっきりと書かれている。一つにはイエスが常習的に安息日破りをしていたこと。というのは、ユダヤ人がモーセから授かった最も神聖な戒律こそ安息日順守であった。それを公然と影響力のある形で、挑発的に示威的に・・・そんな輩はユダヤ人の風上にも置けない。ユダヤ人社会のリーダー達からすれば、彼は異様で、危険な涜神の輩、異端児、大犯罪者、「人間」ではない。出エジプト記31章13節以下の定めによれば彼は断然、死刑である。主の聖なる、最も厳かな安息日に、神とユダヤ人との間の永遠の契約の日に、働いてはいけないのである。
イエス殺害計画の原因のもう一つは、18節によれば、彼らユダヤ人の神を自分の父と呼んで、自分を神と等しい者としたからである。自分は神と等しいとした人間は歴史上多々いるけれども今の私たちには馬鹿馬鹿しく感じる。しかしユダヤ人にとって、自分を神と等しいとすることはそれらは全く問題とならないほどおぞましい。それは悪魔的な呪われたタブーでお話にならない。いうならば前代未聞、天地をひっくり返すこと、全世界を壊すような、決定的で覆ることのない暴挙、愚かな大罪であって、神聖な神の冒涜である。ユダヤ人の歴史と存在、聖書と真実の神を否定する者であり、そんな者はまさに滅びの定めが決定され、なきものとされる。神に責められ罰せられ、永遠の地獄に落ちる刻印が押されている。だから死刑なのである。
だが、主イエスは構わず働く。十字架の勝利に向けて、死を超えて。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」あの神殿をわたしの父の家、そこにいるのは当然、知らないのかと言って平然とした12歳の頃を彷彿とさせる。彼は確かに初めから父と共におられ、世界を共に創造し、父なる神と一つの方として、地上の日々も、安息日にも、十字架の上でも働き続け、昔も今も私たちを永遠の命へと招いて働き続けている。いわば世界を、被造物を、創造し続けているのだ。